かっこいい色鉛筆

この間物置を整理していたらこんな物を見付けました。

Cimg1149 これは私が小学生だった頃に使っていた色鉛筆のケースです。 ケースにはグループCカーのポルシェ956がプリントされています。 当時親におねだりして買ってもらったと記憶していますが、こんな昔から車やCカーが好きだったなんて(;´∀`)…我ながら感心してしまいます。

このポルシェ956は、ケースに書かれている文からル・マン24時間耐久レースで優勝した車である事が分かります。 ロスマンズのスポンサーロゴが入っておりますのでポルシェ・ワークスの車両ですね。 カーナンバーが「1」と表示されている事からジャッキー・イクスとデリック・ベルのコンビが運転する1982年の優勝車両である事も分かりました。 1982年といえばグループCがスタートした年ですが、当時のポルシェ956の力は圧倒的でこれから数年間はポルシェの天下が続きます。

ベンツやジャガーは打倒ポルシェを目指し、やがてポルシェに代わり頂点を極めます。 トヨタ、ニッサン、マツダも積極的に参戦し、年を追うにつれて速さや信頼性を高めていきます。

それにしてもよくこんな昔の物を保管しておいたもんだなー(;´∀`)。

 

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マツダ787Bを語る⑤

念願のチャージ・マツダ787B 55号車のミニカーを購入できた記念企画。 今週夜勤が辛くてなかなか書けませんでしたけど、いつまでもダラダラと同じネタで引っ張ってると次の記事が書けないんで今回でラストです。

1991年のル・マン24時間耐久レースはカテゴリー2(旧規定車両)とカテゴリー1(新規定車両)が混合するレースになりました。 1992年からはカテゴリー2は参戦できません。 序盤は先頭でスタートしたカテゴリー1のプジョー905がレースを支配します。 F1と同じスプリント・レース向けのエンジンというだけあって、レース中の速さではカテゴリー2の車両を上回ります。 しかしこのペースは長時間レースではとても持ちそうにありません。 実際にカテゴリー1の車両はトラブルで次々と脱落していきます。

変わってレースを支配したのはカテゴリー2のメルセデスC11です。 1989年C9でル・マン優勝、1990年C11で世界選手権(WSPC)年間タイトル獲得という恐ろしいまでの強さを発揮しているメルセデスの狙いはもちろん総合優勝です。 予選でもカテゴリー1を上回るタイムを記録し優勝候補筆頭として挙げられていました。

*カテゴリー2の車両は、予選用のセッティングを施す事で予選タイムは速かったが、決勝レースでは燃費・ペース配分を考慮したセッティングに変更しなければならない。 一方のカテゴリー1は燃費規定が無く幾らでも燃料を使用出来るという優遇措置が取られています。 カテゴリー1はNA3.5ℓの為馬力は若干少ないですが、決勝レースでは燃費走行に気を配るカテゴリー2よりもペースを上げて走る事が出来ます。 ただしスプリント・レース向けのエンジンなので長時間のレースでは耐久性に難がありました。

メルセデスの対抗馬はジャガーです。 ジャガーは1991年の世界選手権(SWC)では、カテゴリー1に属するフォード・コスワース製のV8自然吸気(NA)3.5ℓエンジンを搭載するXJR-14で参戦していましたが、ル・マンでは耐久性を考慮しカテゴリー2に属するV12自然吸気(NA)7.4ℓエンジンを搭載するXJR-12の改良型で参加しました。 しかしカテゴリー2には車重ハンデが課せられていて速度が鈍くなり、それを補うべく排気量拡大したのが災いし今度は燃費がきつくペースを上げられません。

ポルシェ962Cは1998年を最後にワークス・チームは撤退しプライベート・チームに委ねられていましたが、962Cは元々1982年デビューの956の改良型ですから設計が古く厳しい戦いです。

マツダは今まで総合優勝に絡めなかった事が幸いし(何とも複雑ですが…)、カテゴリー2としては珍しく重量ハンデが甘く設定されていました。 こうなるとマツダは非常に有利なポジションと言えそうですが実際には厳しい面もありました。 マツダ787と787Bに搭載しているR26Bエンジンは700馬力以上を発揮する怪物エンジンですが、他のカテゴリー2車両は800馬力以上も発揮する超怪物エンジンばかりだったのです。 また世界で唯一ロータリーエンジンを生産しているメーカーゆえ、エンジンの研究開発もメーカー同士の競合が出来ず開発はかなり遅くなってしまいます。 またご存知のようにロータリーエンジンは燃費が非常に悪いエンジンです。 RX7などの市販車はロータリーエンジンを2つ搭載する2ローターですが燃費は悪いですよね。 20Bという3ローターにツイン・ターボを搭載したユーノス・コスモという市般車もありましたが、2ローターでさえ悪い燃費が更に悪くなるのは当然の事ですよね。 R26Bはロータリーエンジンを4つ搭載する4ローターです。 それを更にレース用のポート、すなわちペリフェラル・ポートという市販用エンジンとは異なるポート形状にしてあるので馬力は上がりますが燃費は著しく悪化します。 これらの難題を地道に克服してきた苦労があります。

マツダは787Bが2台、前年型787が1台の計3台で参加していましたが、全車順調に周回を重ねていきます。 そのうちの1台、冠スポンサーのレナウンカラー(チャージカラーと言うべきか)を身にまとったチャージ・マツダ787B 55号車がペースを上げられないジャガーをかわしていき、トラブルで脱落していくポルシェをかわしやがてメルセデスに続いていきます。 どんどん順位を上げていくマツダの存在にメルセデスは意識せざるをえません。 そしてメルセデスにも次々とトラブルが襲いかかります。 メルセデス勢をかわしマツダは2位に順位を上げます。 そしてトップを走っていた最後の1台のメルセデスにもオーバーヒートのトラブルが襲います。 この時4周もの周回差がありましたが、このトラブルによりトップのメルセデスはリタイアしました。 マツダ対メルセデスとの戦いは決着が付いたのです。

周回差が無くなり最終コーナーを立ち上がりトップになろうとした瞬間787B 55号車は観客から大きな拍手と歓声で迎えられました。   ピット作業の時もマスコミが多く駆けつけ大きな注目を浴びます。

他の2台も順調に順位を上げ快走を続けます。 そして感動の瞬間です。レースの終わりを告げた時、コースになだれ込んできた観客達によってマツダの3台は大きな祝福を受けます。 日本の観客の喜びようも凄かったですが、特に地元フランスの観客や地元メーカーのプジョーのスタッフ達の祝福も大きかったと言われています。 彼らはマツダが長年ル・マンに挑戦してきた事を知っていました。 そしてトヨタでも日産でもないマツダという比較的小さなメーカーだという事を。 他のメーカーが諦めたロータリーという難しいエンジンを開発してきた事を。 ロータリーエンジン唯一の量産メーカーがレースに参戦し優勝したという快挙を知っていたのです。

このル・マン制覇は現時点で日本車としては最初で最後の勝利、レシプロエンジンでは無いエンジンとしては世界初の快挙になります。 「運の要素が強かった」と言う人もいるかもしれません。 しかしながらポルシェ、ジャガー、メルセデスといったグループC歴代の強豪達を破っての勝利、前年優勝したジャガーの走行距離を上回る記録での優勝です。 運の要素も確かにあったとは思いますが、最後まで諦めず戦い抜いたマツダの完全な勝利だったと思います。

1992年から世界選手権およびル・マンはカテゴリー1のみのレースになり、参戦するメーカーは激減しました。 この年はプジョーとトヨタの2大メーカーの戦いになりました。 他のメーカーから見放され盛り上がらなくなったグループCは衰退し、1992年を最後に選手権そのものが消滅してしまいました。 

Cimg0628 マツダ787Bは世界的に有名です。 マツダによる1991年のル・マン総合優勝は、レシプロではないエンジンとしては世界初の快挙です。 特に55号車の人気は高く、複数のメーカーがプラモデルやダイキャストで販売していましたが高額で取引されたり品薄状態が続いています。 私も当時の感動を知っている人間なので、いつかは欲しいなーと思っていたのでした。 ですから入手した時の嬉しさが大きく、今回のような長い企画を書いてしまったのです。 お付き合いありがとうございました。

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マツダ787Bを語る④

今週は夜勤ですが、頑張って書きます(´・ω・`; )。

ロータリーエンジンでル・マン24時間耐久レースに挑戦してきたマツダですが、1991年はロータリーエンジンにとって最後の挑戦になろうとしていました。

1991年から施行されたグループCの新規定レース「SWC」により、1992年からマツダのロータリーエンジン及びその他のエンジンのほとんどが使用禁止になるのです。 SWCで認められるエンジンは自然吸気(NA)3.5ℓのレシプロエンジンのみ…つまり当時のF1のエンジンと同じという事になります。 この新規定はマツダだけではなくジャガー、メルセデスといった従来の強豪メーカーにとっても切実な問題でした。 そして数多くのプライベートチームにとっても厳し過ぎる問題だったのです。

新規定に習い車両を開発するか、それとも撤退するかの厳しい選択です。 ポルシェは1988年以降メーカーワークスは撤退しており、プライベートチーム達が古い962Cで頑張っていましたが、どうやら962Cの参戦は1991年が最後になりそうです。 ジャガーは新規定用にフォード・コスワースのV8を積んだXJR14を開発し、メルセデスは自社のV12を積んだC291を開発します。

1991年のル・マンはWSPC(旧規定)の車両とSWC(新規定)の混合するレースとなりました。 旧規定車両は「カテゴリー2」、新規定の車両は「カテゴリー1」と呼ばれ、決勝レースのスタートは予選の順位に関係なくカテゴリー1が前からスタートできるという優遇措置が取られました。 またカテゴリー2の車両には従来よりも100kg増のウェイトハンディが与えられました。 カテゴリー1は燃料の使用量に制限が無いのに対し、カテゴリー2には従来通り燃料の使用量が制限されていました。

これだとカテゴリー1がかなり有利になりますが、カテゴリー1にも大きな問題があります。 それは短期間で開発された車両ゆえの熟成不足と、F1と同じスプリントレース用のエンジンが24時間も持つのかという疑問です。 実際カテゴリー1で参戦するプジョーチーム等は「完走は考えていない」と言っていたようです。 ジャガーとメルセデスはそれぞれ新規定用車両をル・マンまで運んできましたが、結局参戦せずジャガーは7.4ℓに排気量拡大されたXJR12を、メルセデスはC9の後継車C11をデビューさせます。 マツダ787Bはカテゴリー2に属しますが、1990年までに総合優勝を争うような成績を残していなかった事が幸いしウェイトハンディはごくわずかで済みました。

…つづく 

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マツダ787Bを語る③

Cimg0615_2念願のミニカー「チャージ・マツダ787B 55号車」を購入できた記念企画。 今日もせっせとマツダ787Bの素晴らしさを書きたいと思います。

1982年から始まったグループCですが、マツダは1983年から2ローターエンジン(13B)搭載の717Cを投入し、1986年には3ローターエンジン(13G)搭載の757を投入、1988年には4ローターエンジン(13J)搭載の767が投入されました。 年々エンジンはマルチローター化されて馬力アップし確実に速さを増していきました。 ル・マン24時間耐久レースでは1987年には総合7位入賞、IMSA・GTPクラスで優勝しました。 それ以降もIMSA・GTPクラスでは優勝含め表彰台を独占という実績を積んでいきます。 *IMSA・GTPとはアメリカ独自のレース規定で、グループCと類似点が多いですが燃費規定が無い等若干違いがあります。 

ですがマツダにとっての最終目標はあくまでもル・マン総合優勝です。 1988年から投入された767は4ローターで600馬力以上を発揮していましたが、他メーカーのライバル達に比べ100馬力も200馬力も差があり不利です。 この時代になるとグループCの絶対王者だったポルシェはその速さに影を落とすようになりました。 ポルシェも956から962に進化していますが、世界選手権(WSPC ル・マンも世界選手権に組み込まれていた)ではジャガーやメルセデスがポルシェを超えるようになり、国内選手権(JSPC)ではトヨタやニッサンがポルシェを凌ぐ速さを見せるようになりました。

*速さではトヨタやニッサンは確かにポルシェを超えるようになりましたが、グループCはあくまでも長時間・長距離の耐久レースです。  いくら速くても途中でリタイヤしては意味が無く、リタイヤして優勝を逃した例もたくさんあります。

馬力が不利なマツダは、1990年から自社にとっては最後のグループC用エンジン「R26B」を投入します。 R26Bは654cc×4の4ロータリーエンジンで、可変式の吸気ファンネルを採用、耐久性が著しく低いが馬力重視のペリフェラルポートを採用、トリプル・プラグを採用する新型エンジンです。 ロータリーエンジンとはいえわずか排気量2616ccの自然吸気(NA)で700馬力以上を発揮する驚異的なエンジンです。 それでもライバル達よりも不利な馬力でした。 このエンジンは787に搭載され総合優勝への期待が込められたのです。

ところで1990年はグループCに改革(改悪?)が起ころうとしていました。 1991年以降に使用するエンジンがF1と同じ排気量3.5ℓ自然吸気のレシプロエンジンに統一されようとしていたのです。 

*WSPCからSWCへの変貌。 WSPCは長距離・長時間の耐久レースで、使用するエンジンに制限は無いが使用できる燃料の量が決まっている。 1982年から1990年までのグループCはこの規定で行なわれた。 SWCは1991年から施行されたF1と同じような短距離のスプリントレースで、使用できる燃料の量に制限は無いが、使用できるエンジンは自然吸気(NA)の3.5ℓでなければならない。 気筒数に制限は無いがレシプロエンジンでなければならない。

これまでは、例えばポルシェ956は水平対抗6気筒2.6ℓツインターボエンジンを搭載し、ジャガーXJRシリーズはV12の自然吸気(NA)7ℓエンジンを搭載、メルセデスC9はV8の5ℓエンジンに低ブーストターボを搭載していました。 つまり使用するエンジンに制限は無かったので、ターボだろうがロータリーエンジンだろうが参加は可能だったのです。 ところがF1と同じエンジンに統一されてしまうとロータリーエンジンの参加は認められなくなってしまいます。 1990年のル・マン24時間はマツダにとって最後のチャンスになろうとしていたのでした。 この年は新型の787が2台、前年型の767Bが1台投入されましたが、787は2台ともリタイア、767Bは総合で20位と非常に厳しい結果となってしまいました。 

しかし幸運な事に1991年まで参加が可能になりました。 マツダにとって背水の陣です。

…つづく

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マツダ787Bを語る②

Cimg0613 1/43スケールのミニカー「チャージ・マツダ787B 55号車」を昨日購入したので、その記念企画としてマツダ787Bの偉大さやグループCの素晴らしさを書いています。 早い話自己満足ネタです。

1982年にスタートしたグループCはポルシェを筆頭にした海外の強豪メーカー達によって、トヨタ、ニッサン、マツダといった国内メーカーを完膚無きまでに叩きのめしました。 国内メーカー3社はこれに対抗するため、海外のシャシーメーカーやレーシングチームと提携したり、良きお手本であるポルシェ956を入手・分解して参考にしたりしました。 レースにも積極的に参戦する事でチーム、ドライバーも経験・ノウハウを積んでいき、徐々にですが確実に戦闘力を上げていきました。 トヨタもニッサンも打倒ポルシェを目指し、国内選手権(JSPC)や世界選手権(WEC→WSPC→SWCと名称が変わっていく)を戦っていくのですが、マツダは考え方が違うようでした。 マツダの場合選手権そのものは実験・研究の場であり、ル・マン24時間耐久レースの総合優勝のみを目指しているようでした。

こう書いてしまうとマツダはやる気の無いメーカーと思われてしまいそうですが、実はそうではありません。 マツダというメーカーはトヨタやニッサンに比べて小規模なメーカーであり資金力では到底敵いません。 またロータリーエンジン(ワンケルエンジンまたはバンケルエンジンとも言う)を生産しているメーカーはマツダ1社のみだったので、メーカー同士の競合が出来ずエンジン開発が非常に遅くなってしまいます。 既にロータリーエンジンは開発元のNSU社から見放されており、過去に研究していた各メーカーも実用化には至らなかったという非常に生産が難しいエンジンです。 マツダもレシプロエンジンで参戦していれば楽だったのかもしれませんが、マツダには世界唯一のロータリーエンジン生産メーカーの誇りがあります。 自分達の誇りであるロータリーエンジンを世界に認めさせる為には、F1年間チャンピオンにも匹敵すると言われるル・マン総合優勝が1番説得力があり、その夢を叶える為には自分達が今出来る事を確実にこなすという考え方があったのだと思います。

…つづく    

 

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マツダ787Bを語る①

今日は1/43スケールのミニカーを購入しました。

今日地元の電気屋へ行ってきましたが、何となく玩具コーナーを見ていたら気になるミニカーが置いてありました。

Cimg0612_4今回購入した1/43スケールのミニカー、「チャージ・マツダ787B 55号車です」。 この787Bは、1982~1992年にかけて開催されていたグループC(プロトタイプと呼ばれるスポーツカーによる自動車レース)に参戦していたレーシングカーです。 この787B最大のトピックは、1991年のル・マン24時間耐久レースでの総合優勝です。 ル・マン24時間レースは1991年当時で第59回目の開催という伝統・格式のあるレースです。 世界の強豪メーカーが総合優勝目指して激しくぶつかり、ル・マンを制した者はF1の年間チャンピオンにも匹敵すると言われていました。 この787B 55号車は日本車初、ロータリーエンジン搭載車初の総合優勝を成し遂げた車両なのです。 ついでにカーボンブレーキ搭載車初の優勝というオマケも付いています。 多くの日本のモータスポーツファンが歓喜したのは言うまでもありませんが、世界的に見てもロータリーエンジン搭載車によるル・マン制覇は驚きと感動を与え、特にル・マン開催国のフランスのファンやライバルだったプジョーのスタッフ達の喜びも大きかったらしいです。 地元の人達は比較的小さい自動車メーカーのマツダが長年ル・マンに参戦していた功績を知っていたからです。 私はこの787Bが優勝した時の感動をリアルタイムで知っていた人間なので、この787Bのミニカーを見た瞬間に購入を決意してしまいました。

1982年に開始したグループCは、ポルシェ956という良きお手本の存在が大きかったといえます。 ポルシェはグループCの規定を完璧ともいえるほどに理解し、準備不足になりがちな開催初年度にも拘らず非常に完成度の高い956を完成させたのでした。 唯一対抗出来るライバルはランチアでしたが、予選や雨でポルシェを凌ぐ事はあったものの総合的にはかなり分は悪かったようです。 ポルシェに刺激されたメーカーやレーシングチームの参戦は年々増えていき、結果大いに盛り上がりました。 グループCはF1と同じ国際選手権だったので、世界を転戦しフランスの伝統的な耐久レース「ル・マン24時間」をも選手権として取り組みました。

グループCは国内メーカーだとトヨタ、日産、マツダが参戦するようになりましたが、マツダはクループC以前からル・マン24時間に参戦していました。 ル・マンでの経験はマツダが有利になりますが、グループC自体はどこのメーカーも初めての事になります。 開催したばかりの国内メーカーは添え物的存在ともいえるほど弱く、ポルシェを始めとする海外の強豪メーカー、チームとの差は歴然としていました。

この時代の日本は自動車大国として技術的には欧米の自動車メーカーに引けを取らなかったと思いますが、モータースポーツの経験・ノウハウが遅れていた感は否めません。 純粋に速さ競うスプリント・レースならば勝てる要素もありますが、グループCは長時間・長距離の耐久レースでありしかも使用出来る燃料の量が決まっている レースです。 よって車の速さだけではなく燃費性能やペース配分等の戦略的要素も重要になります。 こうなってしまうとモータースポーツのノウハウで遅れを取っている日本のメーカーとしては非常に厳しくなってしまいます。 日本のメーカーが優先するのはとにかく経験を積む事、強豪メーカーの車両を研究・分析する事だったのです。

…つづく

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R92CP

先週の日曜日、富士スピードウェイにてニスモフェスティバルが開催されたので行ってまいりました。 最初から最後までいたわけではなく、またアチコチ見て回ったわけでもないので細かいレポートは書けませんが、1つだけ気になった車を非常に間近で見ることができたので記事にしたいと思います。 かつてグループC(1982~1992年に開催された「スポーツカー」による世界選手権)というカテゴリーのレースがありましたが、その最後の年に登場したニッサンR92CPです。

Cimg0237 この画像は1992年のJPSC(日本国内のグループCカー選手権)に参戦していたカーナンバー1のカルソニックニッサンR92CPです。 当時の日産の象徴である赤・白・青のトリコロールカラーが鮮やかです。 この車両はメインスタンドの裏側に展示されていて間近で見ることが出来ました。 ニッサンR92CPは2台存在し、もう1台のYHPニッサンR92CPはピットに待機していました。 このR92CPは某GTゲームに登場していますが、ゲームの中で丁寧な音声付き解説までされているのでご存知の方も多いと思います。 実績として1992年のJPSC(国内グループCカー選手権)に参戦し6戦全勝(カルソニック5勝、YHP1勝)を挙げた車両です。 1993年にはグループCの世界選手権と国内選手権が消滅した為、グループCカーの最後の年を有終の美で飾った車両なのです。 某ゲームの解説では富士スピードウェイのストレートで時速400キロを叩き出し、ダウンフォース量は3.5トン(フロント1トン、リア2.5トン)に及び、予選では1000馬力以上を出していたと恐ろしい事が淡々と語られています。 ただし公称730馬力で時速400キロを超えたという記事もあるので詳細はイマイチわかりづらい…

このR92CPが国内選手権で活躍していた1992年当時、世界選手権の方では規定としてF1と同じ3.5リッターNAエンジンに使用が限定されていました。 この3.5リッターNAエンジンは1991年から導入され、この年までは他のエンジンでも参加は可能だったらしいが、重いハンディが科せられ競争力に欠けて上位は不可能な状態になってしまいました。 1992年の世界選手権は3.5リッターNAのみ。 その為参加台数は激減しており運営そのものが危ぶまれていました。 これについては後述で説明します。

本来のグループCとは、長距離耐久レースであって厳しい燃料制限がありました。 例えば1000kmレースでは燃料が600リットルまでになっており、スプリントレースのように常に全開走行をしていれば必ずガス欠状態…つまりリタイヤになってしまいました。 しかし単にエコロジーランをすればいいのではなく、時には時速400キロ近くまで出せるような高性能さも必要とされたのでした。 ドライバーは時として速く走らせたいという思いを我慢しなければならない燃費重視の運転をする一方で、直線では時速350キロ超という非常に危険な速度で走らなければならなかったのです。 燃費と速さという矛盾した課題を国内外のメーカーは試行錯誤しそれぞれが相応しいと思うエンジンや車体を開発し参戦していきました。 幸い使用するエンジンに制限は無かったので、ジャガーの7リッターV12NAからマツダのロータリーエンジンに至るまで様々なエンジンが登場し、メーカーにとっては非常にヤリガイのあるレースであり観客側としても様々なタイプの車両が同じ土俵で戦うのを楽しんでいました。 ちなみにレース中の燃費は2km/1リットル未満になりますが、アクシデント等でレースが中断されペースカーが先導している時は、燃費が何と16km/1リットル以上になったりするそうです。 これは現代の国産コンパクトカー並の低燃費ですね…最高速度が時速400キロなのにゆっくり走れば必死に先導しているペースカーよりも遥かに高燃費…凄まじく効率の良いエンジンだったんですね。

前述の通りグループCは長距離耐久レースですからスタートからゴールするまで長時間の戦いになります。 よってレース内容をテレビで放送すると時間枠に納めることが難しい(特に海外ではモータースポーツ人気が日本の比ではないので非常に重要な問題である)。 その為FIAではテレビ放送枠に納めるようグループCを短距離レース化し、フォーミュラ・ワン(F1)と同じエンジンにして燃費制限を廃止することを決定しました。 F1と同じエンジンにすればエンジン共有化でメーカーの開発コストが押さえられると考えたわけですが、よく考えなくてもF1とグループCの両方に参戦しているメーカーなどありません。 また小排気量NAで高回転・大出力を稼ぐエンジン(3.5リッターNAエンジンで600馬力以上)の開発は非常に難しく膨大な資金が必要なのです。 メーカーのワークスチームでさえ大変になるのに、メーカーから車両を購入するプライベートチームには非常に重荷になります(メーカーでさえ苦労するような気難しいエンジンをプライベートチームが維持・管理しなければならない)。 この新規定は1991年から施行されたのですが、やる気を出していたのはトヨタとプジョーだけという寂しいものでした。 旧規定のエンジンでも参加は認められても、本来は長距離レース用のエンジンで更に重いハンディが科せられてはとてもレースにはなりません。 R92CPに搭載されているVRH35Zエンジン(3.5リッターV8ツインターボ)も速さと燃費の両立を目指して採用された旧規定のエンジンですから、短距離化されたレースの土俵で新規定車両を相手に勝負しても太刀打ちできません。 

*旧規定の車両はタイムアタックや予選タイムでは予選用のスペシャル・セッティングを施す等の対処で非常に速かったが、レースになると燃費を考慮したセッティングに変更する為、抜きつ抜かれつの接戦や周回遅れの車両を追い越したりする時の瞬発力が鈍くなってしまう。 よって旧規定と新規定の車両が同じスプリントレースをした場合、燃費規定の無い新規定の車両の方が断然有利になるものと考えられる。 

ただし国内選手権では1992年までは旧来の規定が採用されていたのでR92CPのようなターボエンジンも重量等のハンディは無しで参加が認められていたのでした。 

*厳密には国内選手権の旧規定の車両は「C1」、新規定の車両は「C」という風にクラス分けされました。 国際的には旧規定の車両は「カテゴリー2」、新規定の車両は「カテゴリー1」という名称でクラス分けされました。 ちなみに1991年にル・マン24時間耐久レースで総合優勝した「マツダ787B」はカテゴリー2の方に属します。 日産R92CPは世界で1番最後に登場した旧規定の車両なので、カテゴリー2としては究極の性能を持った車両になります。 歴史に「もしも」があったなら、R92CPがもっと早く登場していれば世界制覇も夢では無かったかもしれません。

結局このF1エンジンによる短距離レースという新路線は、クローズドスポーツカーでF1をやるという夢のようなものでしたが、遣り甲斐を無くした各メーカーとプライベーター達からソッポを向かれ、スポーツカーで唯一の世界選手権は1993年に消滅してしまいました。 非常に残念です。       

Cimg0241 レース自体は消滅しても、車両が稼動可能な状態で保存されているのは非常に嬉しいことです。 グループC消滅から14年の年月が経とうとしていますが、今見てもグループCカーはかっこよく魅力的な車だと私は思います。 私が撮影する前にR92CPの運転席に子供を座らせて記念撮影をするイベントをやっていました。 撮影している親子が笑顔で車両を眺めていて、スタッフもニコニコしているのを見ると何か感慨深いものがありました。

Cimg0238 強大なダウンフォースを稼ぐリア側の画像です。 巨大なリアウイングやデュフューザーが印象的です。 グループCではグランド・エフェクトの採用が許可されていましたが、運転席の真下には1メートル四方のフラットボトムが義務付けられていました。 フォーミュラカーとは違って車体全体がカウルで覆われている為、ダウンフォースが半端ではなく最高速度は400キロ近く達するのがグループCの特徴でした。

Cimg0239 カルソニックニッサンR92CPには星野一義氏/鈴木利男氏が運転していました。 グループCは長丁場の耐久レースですから交代制だったのです。 YHPニッサンR92CPには長谷見昌弘氏/影山正彦氏が運転していました。 1992年のIMSA(イムサと読む)のデイトナ24時間レースでは星野/長谷見/鈴木の3名がR91CPで参戦し総合優勝を飾っています。 素晴らしい快挙でしたがIMSAも1993年を最後に消滅してしまいました。 画像では見えにくいですが車内が少しだけ確認できます。 日産ではドライバーにリラックスして運転してもらう為にレース車両としては珍しく内装にこだわったという話です。 車内センター付近に特徴的な油圧、燃圧、水温、油温のデジタルメーターが配置されていますが画像ではちょっと見にくい…

Cimg0242 ニッサンといえば鬼ゴム!鬼ゴムといえばニッサン!!というくらいに濃いいスポンサーロゴです。 車両の大きさから比べると非常に小さい文字ですが、カルソニックロゴに負けないくらい?何か強力なインパクトを与えてくれます。 私としてはトヨタのスポンサーだった三州瓦も印象に残っています。 こうやって昔のスポンサー名を思い出してしまうのも私にとっては懐かしい思い出になりますね。 ちょっと話はずれますけど、F1見て煙草をマルボロに決めた友達を私は複数知っています( ´Д`)y━─┛~~ぷはー

Cimg0235 模擬レースではカーナンバー24のYHPニッサンR92CPが出走しました。 模擬レースとはいえ比較的新しいR391と接戦を演じ観客を大いに沸かせてくれました。 画像にはトリコロールカラーのR92CPと謎の真っ白な車両が写っていますが、この車両はNP35という名称の車両でグループC新規定に則った3.5リッターNAエンジン搭載車なのです。 デビューはR92CPと同じ1992年で最終戦のMINEに登場しましたが、1993年には選手権そのものが消滅してしまったので非常に影の薄い幻の車になってしまいました。 スプリントレースでは理論上R92CPよりも全然速い車ですが、模擬レースでは惜しくもR92CPに破れていました。 さすがF1と同じエンジン(´~`)?というだけあって甲高いエンジン音が印象的でした。 本来ならばNP35は新規定のグループCカーとして大活躍する筈だったのに、実際にはデビュー戦がそのまま最後のレースになってしまった悲劇の車両となってしまいました… でもこれって日産が自社でF1のエンジンを開発・採用に成功したという事になるのかなあ…? 

…それにしてもアナウンスしている人が惜しげもなく「エンジンサウンド」という言葉を発していましたが、私にとっては妙にこそばゆいというか何というか… 個人的にサウンド=音楽用語というイメージが勝手にあるので、なんとなくエンジンを音楽に例えているようで何か恥ずかしい気がしてしまうのです←サラウンドと重複するからかもしれない。  似たような言葉で、F1の中継の「ホンダサウンド」とか何かの漫画の「ロータリーサウンド」とか… 私の勝手な思い込みかもしれませんので気に障った方がいましたらスミマセンm(__)m

ところで模擬レースにはGT選手権~SUPER-GTの車両も多数参加していましたが、R92CPもNP35もGT500マシンすら全く寄せ付けないような異常な速さを発揮していました。 そういえばR92CPって富士スピードウェイ旧コースのレコードホルダーでしたよね。 星野一義氏が1分14秒台を叩き出したのが公式記録だったような気がする…非公式では12秒台という話も聞いたことがあります。 まあどちらにせよ現実離れし過ぎた記録ですよね(´∀`;)。 

*レコードホルダーと書きましたが、開業当時の30度バンク時代から2006年現在に至るまでの新旧含めた富士スピードウェイを最も速く1周したのは、1983年のWECジャパンの予選でステファン・ベロフが駆ったポルシェ956(グループCカー)である。 この時のタイムは1分10秒02で平均時速は224キロオーバーと驚異的なものであるが、R92CPが走っていた1992年とは違いこの時代はAコーナー(サントリーコーナー)やBコーナー(ダンロップコーナー)が無かったことを考慮してほしい。 この選手は1985年に27歳という若さで亡くなっているが、富士の絶対コースレコードホルダーとして永遠に名を刻むことであろう。  

こんな怪物的な車が10年以上昔に存在していたこと…私にとっては正に夢のような時間でした。

補足…

車両:NISSAN R92CP

エンジン:VRH35Z V型8気筒DOHCツインターボ(3,496cc+IHI製ツインターボ)

最大出力および最大トルク:公称730馬力以上/7,600rpm 80kg‐m以上/5,600rpm

車体(シャシー):カーボンコンポジット モノコック

ミッション:前進5速 後退1段

全長:4,800mm

全幅:1,990mm

全高:1,100mm

トレッド:前1,600mm 後1,560mm

重量:850kg以上

最高時速:推定400km以上(富士スピードウェイの直線で報道記者がガンカメラで測定したとされている)

富士スピードウェイ周回タイム(1992年当時):公式1分14秒台 この公式タイムは後のF3000やトヨタGT-ONE(TS020)よりも速いタイム 

 

 

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